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2011年05月21日 (16:59)

山で呼ばれても素直に行くな

さて、そろそろ『京都の昔話』の返却日が近づいてきたので、連投です。

今日のお話は「死亡の知らせ」というお話。

昔、木こりの権兵衛が、ある森の中の椎の木の上に乗って寝ていたそうだ。

するとむこうから、
「おうい、権兵衛や、お母が死んだよう」
「おうい、権兵衛や、お母が死んだよう」
云うて、大声で何かがわめいていたそうな。

権兵衛は寝ていたのでいまいちわからず、うとうとと目を開けると提灯が五つも六つも灯った列に、ドンチャンドンチャンドロンチャンと、葬式の行列が来たので目が覚めて、はてどこへ行くんだろうと思ってみると、権兵衛の真下にきて、ごそごそ物音がして、
「権兵衛や、お母が死んだ云うてももどらずに」と云いながら、なにかが木を登ってくる。ひやっとしとったら、
「いっぺんもにへんも、もどれ云うてももどらんと」と云いながら、どんどん登ってくる。

権兵衛は木にくくりつけてあった斧をとって身構えておったら、
「人がもどれ云うたときには、もどるもんだ」
声と共に権兵衛の真下ににゅっと大きな手が出た。

権兵衛はいまだと思って持ってた斧でどしゃっと切った。
権兵衛は「こわや、こわや」思っていたら、夜が明けかけた。

「ほんまに、ひでえめにあわせた、この野郎」と思って、下を見ると、椎の木の下に、大きな大きな猿だがひひだかわからんもんが、どしゃんと大の字になってぶったおれとっただと。

権兵衛さん、もしも呼ぶ声に応じて下へ降りていたなら、餌食になっていたのでしょう。
山にはなにが起こるかわからないものです。

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2011年05月20日 (22:21)

丹波太郎見参!

前回に引き続いて、『京都の昔話』から心に残ったお話を。

今回は「丹波太郎」という話。

昔あるところに、白旗が立つと家の娘をおぼしな山の氏神さんに差し上げなければならないという古くからのしきたりがある村があった。

白旗は一年毎に立つので、今年はどこそこの家、また次の年はどこそこの家という風に順番に白旗が立つとその娘を一人ずつ、おぼしな山へ差し上げてたそうな。

ここで差し上げるということはもちろん二度と帰って来ないということを指す。

ある時、ある六部さん(放浪の僧みたいなもの)が村に来て、その村の大変嘆いている家にひょいっといって
「今晩泊めてくれ。宿してくれ」
と云って、白旗を上げられて、娘を差し上げなければならない家に宿を頼んだそうな。

そうして、家の人がなぜ嘆いているのかを聞いて、その六部さんはじゃあわしが今夜その様子を行って見届けてやると云うや、おぼしな山の裏手へ回って体をひそめて様子を見ていたそうな。

すると娘には衣装をつけて長持ちに入れて、村の若い衆がエイサヨイサで運んできた。
おぼしな山に這入ると、四人の比丘尼がおりてきて、
「丹波太郎が来にゃあよいに。丹波太郎にゃあ知らせなよ」
と云って長持ちを叩いて、いい加減に叩いたあと、
「さあ、かかろうで」
と一声、長持ちもなにもみるみるうちにメラメラっと砕いて、娘を担いで山へ登っていったんだと。

さて、六部さん、ここでは見ているだけだったが、観察するに、どうもおぼしな山の神様が土地の娘を取って食うというのは不思議だと思っていたが、やっぱりおぼしな山ではない、なにやら不思議なものが下ってきて、こういうことをするんだろうと思った。
そうして、「その丹波太郎というもんを、来年の氏神祭までにわしがつれてきて、なんとかする」と云って、帰っていった。

それから六部さんは律儀に丹波太郎という名のものを一所懸命探したが、どこにもそんな名前のものはおらん。
どうしたことだと思っていたある日、「丹波太郎いう、そういう人間はおらんけれども、丹波太郎いう犬がおるようじゃ。あそこの在はずれのお爺さんやお婆さんが飼うとんなるで、そこへ、ちょっと行っとみなれ」いう人の知らせがあって、六部さんはそこへ行った。

そうして、その丹波太郎を飼っているお爺さんとお婆さんに事情を説明して、おぼしな山のお祭りまで借りられぬかと懇願する。
すると爺婆は「人助けのためだし、わしらはええが、丹波太郎が承知するかどうか伺ってみる」と云う。

そして丹波太郎に「こういう事情でおみゃあを所望に来とる人があるんだが、おみゃあその用にたってあげてくれるか」と尋ねると、丹波太郎は思案したあと、うなずいた。
「そうなら、おめえは用にたってあげてくれるか」と重ねて尋ねても、またうなずく。

晴れて六部さんは丹波太郎を連れて、その村へ行き、丹波太郎を娘のかわりに衣装を着せて、若い衆が長持ちに入れておぼしな山へ向かった。

六部さんはまた去年のようにお宮の裏で様子を見ておったところ、また比丘尼連中が降りてきて、
「丹波太郎が来にゃあよいに。丹波太郎にゃあ知らせなよ」
云うて一所懸命に長持ちを叩いて、
「さあ、かかろうで」とかかったところ、丹波太郎ががばっと飛び上がって、四人の比丘尼と大格闘。
そうして、一人かぶりつき、二人かぶりつき、殺していった。
最後の四人目の喉笛を掻き切ったところ、どうしたことか、そこには大変な毒があって、丹波太郎もそこで死んでしまったということである。

お話はこれで終わりである。

丹波太郎は自らの運命を悟っていたのであろうか。怪異であった比丘尼を全員咬み殺すほどの強さを持っていながら、最後に毒に当たって死ぬ、これは深読みすれば、怪異が呪いや祟りと考えた場合、それを破ったものは、最後にはその怪異を被って死なねばならないという風にも読める。

しかし、丹波太郎、なかなか男前な犬であった。

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2011年05月12日 (00:21)

昔は大蛇も口をきいた

今、『京都の昔話』というタイトルずばりな本を図書館から借りて読んでいるのだが、これがなかなか面白い。

そのなかで心に残ったものをいくつか忘備録的に書き残しておきたい。
ただし原文は方言で語られているため、現代文の意訳とし、わたしの主観もところどころ入れてあるのを注意しておく。

一つ目は「蛇の息子」という話。

むかしあるところに爺さんと婆さんが定型通りに住んでいたわけだ。

爺さんがある日畑を耕しに行くと、可愛い卵が出てきた。で、爺さん、何の卵かわからないけど可愛いもんだしという理由だけで持ち帰っちまった。

家に戻って囲炉裏のそばに置いておいたら、卵がポカンと割れて、可愛い蛇が出てきた。

この時点でもう、常人ならとって捨てるなりするはずだが、どっこい爺さん、婆さん、自分たちに子どもがいないので、その蛇を子どもみたいに大事にして、ふじという名前までつけて育てちまった。

爺さんなどは外から帰るたびに「ああ、ふじや、今戻ったで」と話しかける始末、爺婆二人してそれは大層かわいがった。

もちろん食べ物もたくさん与えた。ふじはすくすく育ち、ついに囲炉裏のそばには収まらなくなる。で、爺さん考えて、体だけ床の下へ潜らせ、顔だけ出させて、話しかけるやら食い物をやるやらして育てた。
随分アナーキーな老夫婦である。

けれどもふじは本気ですくすく育ち、いよいよ床下にも入りきらなくなった。で、爺さん、いきなり無責任なことに「ここにはもうおれんから、どこへ行く」とふじに云う。ふじはというと、すましたもので、「依遅ガ尾いうところに大きな池があるから、そこの沢へ行く」と云う。

爺さんはその池までふじを連れて行って、放してしまった。

しばらくすると、その沢や池で大蛇が出て人を呑むという。紛れもなくふじである。あまりに殺しまくるので、土地の殿様から大蛇を退治したものには褒美を出すというお触れが出る。

あちこちから退治しに人は集まるが、みな大蛇に呑まれ殺された。

そこで、爺さん、こりゃあほうっておけんと、今更ながら立ち上がる。

で、池のふちにいって、手をコーンコーンと叩いて、「ふじやあ」と呼ぶ。すると池からのろのろと大蛇が顔を出す。

ここでの爺さんとふじの会話に打たれる。

「お前はわしに討たれるか」
「うん」

ふじは素直にうなずいた。

爺さんはまったく容赦なくてっぽうでもってふじの頭をパアーンとぶっ放す。
大蛇の死体は池からばあっと上がってきた。

その後はお約束通り、お殿様から褒美をもらって、爺婆幸せに暮らしましたとさとなる。

この話からなにを思うかは人それぞれだが、わたしにはなんとも切ないようなやりきれない思いが残った。

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