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2011年05月12日 (00:21)

昔は大蛇も口をきいた

今、『京都の昔話』というタイトルずばりな本を図書館から借りて読んでいるのだが、これがなかなか面白い。

そのなかで心に残ったものをいくつか忘備録的に書き残しておきたい。
ただし原文は方言で語られているため、現代文の意訳とし、わたしの主観もところどころ入れてあるのを注意しておく。

一つ目は「蛇の息子」という話。

むかしあるところに爺さんと婆さんが定型通りに住んでいたわけだ。

爺さんがある日畑を耕しに行くと、可愛い卵が出てきた。で、爺さん、何の卵かわからないけど可愛いもんだしという理由だけで持ち帰っちまった。

家に戻って囲炉裏のそばに置いておいたら、卵がポカンと割れて、可愛い蛇が出てきた。

この時点でもう、常人ならとって捨てるなりするはずだが、どっこい爺さん、婆さん、自分たちに子どもがいないので、その蛇を子どもみたいに大事にして、ふじという名前までつけて育てちまった。

爺さんなどは外から帰るたびに「ああ、ふじや、今戻ったで」と話しかける始末、爺婆二人してそれは大層かわいがった。

もちろん食べ物もたくさん与えた。ふじはすくすく育ち、ついに囲炉裏のそばには収まらなくなる。で、爺さん考えて、体だけ床の下へ潜らせ、顔だけ出させて、話しかけるやら食い物をやるやらして育てた。
随分アナーキーな老夫婦である。

けれどもふじは本気ですくすく育ち、いよいよ床下にも入りきらなくなった。で、爺さん、いきなり無責任なことに「ここにはもうおれんから、どこへ行く」とふじに云う。ふじはというと、すましたもので、「依遅ガ尾いうところに大きな池があるから、そこの沢へ行く」と云う。

爺さんはその池までふじを連れて行って、放してしまった。

しばらくすると、その沢や池で大蛇が出て人を呑むという。紛れもなくふじである。あまりに殺しまくるので、土地の殿様から大蛇を退治したものには褒美を出すというお触れが出る。

あちこちから退治しに人は集まるが、みな大蛇に呑まれ殺された。

そこで、爺さん、こりゃあほうっておけんと、今更ながら立ち上がる。

で、池のふちにいって、手をコーンコーンと叩いて、「ふじやあ」と呼ぶ。すると池からのろのろと大蛇が顔を出す。

ここでの爺さんとふじの会話に打たれる。

「お前はわしに討たれるか」
「うん」

ふじは素直にうなずいた。

爺さんはまったく容赦なくてっぽうでもってふじの頭をパアーンとぶっ放す。
大蛇の死体は池からばあっと上がってきた。

その後はお約束通り、お殿様から褒美をもらって、爺婆幸せに暮らしましたとさとなる。

この話からなにを思うかは人それぞれだが、わたしにはなんとも切ないようなやりきれない思いが残った。

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