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2010年07月01日 (22:38)

反論の反論で正論に反論して世の中イミフ

かなり久々の日記である。
ふと見返すと、最後に付けたのはなんと去年の12月、実に半年以上日記を書いていなかったことになる。

それだけ鬱々とした日々を過ごしていたということなのだろうか、日記程度の文章を書くほども心の余裕がなかったと云える。

しかし、ここに復活である。もちろんわたしのことだから、この日記の次の日記が半年後になる可能性だって大いに有りうる。なにせグウタラが服を着て闊歩しているようなものだから。

あまりに久しぶりなので自分の元々の文体を忘れた、決まりごとのような書き方も忘れた。しかしそれでも別に構わないじゃないか、日記など自由気ままに気の向いたときに書けばよいのだ。

この半年実に色々様々なことがあったが、なんとか生き延びて今に至る。生きていたのだから、まあ問題なかったということで。生きているだけで丸儲け? そんなバカな話があるか、生きているだけで大損だ。

とまあ、いきなり人生観を披露するのもなんなので、ここは最近読んだ面白い本などを紹介したいと思う。



『反論の技術―その意義と訓練方法』香西 秀信 (著)

この本は所謂普通のハウツー本とはひと味も二味も違う、すばらしく論理が通った本である。
タイトルにあるように、議論の上での”反論”の意義をまず探りだし、そしてそこからその方法、活用、訓練、技術などを丁寧にかつ分かりやすく説いている。

著者自身が大学の教員らしく、実際に生徒を使って、云い様は悪いが実験を行った結果なども豊富に記載されており、実地の教育現場から現代の所謂論理的思考教育に鋭く批判を加えながら、独自の観点から”反論”している点、とにかく読み物としても面白い逸品である。

この本の中で一番印象に残っているのが、議論に於いてはその緒論(議論の議題や言い出しの議論)においてすでに反論なのであるという指摘である。
これはどいうことかと云えば、結局議論として成り立つには、そのそもそもの論が現在の状況において、もしくは時勢、モラル、社会的規制、観点などに対する反論であり、もし誰もがすでに”そうである”と認識していることについて議論を始めるならば、それは只の阿呆であり、「そんなこと云われなくても誰でも知っているよ」という話になる。
つまりすべての議論は何かしらについての反論若しくは反論的要素を持っている。ということである。

これには衝撃を受けつつも深く納得させられた。

今はやりの論理的思考というものに多少の懐疑を持っている人、論理的思考は苦手だという人、ナニソレ美味しいの? という人、そう云う人にお勧めである。





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2009年12月04日 (01:37)

レトリカルにレトリックを語ろうか

どうも、明日の我が身を憂えるプロレタリアートの皆さまこんばんは

憂えたところで変わることのない現実が訪れる悲しみよくわかります

これはもうあれですねか、ライオットでも起こしますか、あはは


どうも

言葉遊び@うつ病

です


僅々一ヶ月日記を書かないだけで人非人のような扱いを受けるFC2に軽く憤慨している次第ですが、まあ、書くきっかけを与えてくれているんだと考えてそこは我慢の子

本日はちょいといい本読みました的な、本のレビューみたいなこと書いてみたいと思います

本のタイトルは『レトリックのすすめ』、作者は野内良三です

この本はタイトル通り、レトリックに対する現状、つまり好印象を持たれていないどころか、下手すりゃ悪印象をも与えてしまっていることに関して、世の誤解を解こうと頑張っており、会話や文章にレトリックをすすめております

まあ、大概の概説書のセオリー通り、レトリックとは何かから話は入りますが、一応レトリックをご存じない方のためにそこだけはわたしがご説明させて頂きますと、いわゆる「弁論術」と「修辞」にわけられる、言葉の飾りのことでございます、一般的に知られているものは、例えば直喩や隠喩や擬人法の比喩表現、擬音語、擬態語のオノマトペでしょうか

「巧言令色鮮し仁」と論語にあるあの巧言令色はつまりレトリックを駆使した言文ということになります
(先程悪印象と書きましたように、論語にまでけなされています)

さて、そんなレトリックのすすめなのですが、なかなかどうして、おもしろい
そもそも著者の野内さんという人がレトリックの専門家らしく、地の文に出てくる彼の文章自体が読みやすくすらすらいきます

さらに、レトリックを「修辞」だけにまず限定しておいて、さらにそれを綺麗に分類し、それぞれの技法を使用している文章を引用しています

この引用される文章が、漱石、鴎外、龍之介、三島由紀夫に佐藤春夫、さらには近松門左衛門まで、幅広く様々な文章を引いてくるので、引用される文章だけを読んでいても面白い
さらに引用文がいわゆる現代文でない場合、わざわざ現代語訳まで載せてくれる親切さにはおそれいります

文中でレトリックは文彩と言い直されており、文彩の系列は大きくわけて12でまとめられています
そのなかに、いわゆる隠喩や直喩、擬人法やオノマトペである擬音語や擬態語、さらに対照法や転置法など、具体的な技例が細かく説明されています

難があるとすれば、その細かに別れた各技法に似通ったモノが有り、我々素人には同じように見えてしまって、なぜ区別するのかと飲み込みにくい点ですが、それを除けばまず良い本だと思います

日本の学校教育では勉強することが殆どない「修辞学」に興味がある方は必読の一冊ではないかと愚考する次第です




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2009年01月21日 (00:45)

キングは文学か?

めっきり冬の化粧を施した街を、くたびれた足と切り刻まれた心で歩くプロレタリアートの皆さんこんばんは

わたしはあまりに寒いので冬眠態勢に入っております

どうも

本読みの虫@うつ病

です

最近というより、仕事辞める前からそうだったんですが、辞めてから特に本を読みまくるようになっております

前回も云いましたが、もはや乱読のレベルに達しており、ある日は太宰、ある日はビジネス書、ある日は新書、ある日はキングなど、もう節操も何もあったもんじゃありません

その中で最近ハマっているのがスティーヴンキングです

この人は海外作家の中でも最も有名な一人だと思いますので、誰しも聞いたことくらいあるのではないかと思います

作品も広く映画になっていますしね、たとえばスタンドバイミーとかキャリー、シャイニング、最近ではグリーンマイルですかね

そんな彼の作品をかなり読んでいるんですが、彼はいわゆるモダンホラーの帝王と呼ばれており、基本的にホラーを書いているんですね

一般にホラーやサスペンスなどは大衆小説と呼ばれいわゆる純文学とは異なるといわれております

しかし、彼の作品は確かにホラーなんですが、その言葉の使い方や文章の構成の仕方など、ただ怖がらせるだけでなく、いわゆる文学的な部分が多く認められるんですよね

以前読んだ小野不由美という方の作品にもそういう部分を感じられるものがありました

いわゆる大衆文学と呼ばれる文学にも純文学的な素養は当たり前にあるのだなとしみじみ感じ入った次第で御座います

しかしそれにしてもキングは面白い

もう読み耽り過ぎて睡眠時間がどんどん削られていくという恐怖体験までしてしまう始末

ほんとそっちの方がホラーですよ

わたしのようにうつ病だと、睡眠不足は非常に精神的に良くないわけです(わたしだけかもしれませんが)

そんなわたしが睡眠不足上等状態で読みふけるわけですから、さすがモダンホラーの帝王

そんな帝王の読書感想文もまた書いていきたいと思いますのでよろしくお願いしますね


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2008年12月26日 (22:56)

無職でもたくましく本を読むんです

年の瀬せまる今日この頃

本日が仕事納めというプロレタリアートのみなさんもおおいのではないでしょうか

まあ、正月なんか関係ねぇというブラックな会社にお勤めの方もいらっしゃいますでしょう

わたしは納めるものがないまま、年を越してしまいそうです

どうも

読書週間@うつ病

です

無職になる以前から、本はかなり読む方だと自認していたんですが、近頃それに拍車がかかっております

乱読といいましょうか、もはや分野も時代も国も問わず、とにかくおもしろそうだと思ったものは何でも読み漁っている次第です

思い起こせば、中学生の時から本が好きでした

初めてはまったのはたしか『ネバーエンディングストーリー』だったような気がします

図書館で借りた分厚い本を家でも学校での休み時間にも貪るようにして読んだ記憶があります

それから高校時代は星新一に嵌まり、スティーブンキングに嵌まり、三国志に嵌まり

学生になってからは中国の歴史小説、たとえば陳瞬臣とか、宮城谷昌光とか、あと中国神話の訳本などに嵌まり

社会人になってからも、いろいろ嵌まりまくって、最終的に明治、大正の文学に彷徨いついて、漱石、龍之介を愛読

さらに昭和に進んでは太宰や坂口安吾、安部公房などに嵌まり

とにかく本とは切っても切れない仲といいましょうか、人生の多くの時間を読書に費やしたことは確かです

それが特にこの無職期間、約一か月の間ですでに読んだ本の冊数が十数冊というんだから、自分でも呆れます

一週間に4~5冊のペースですから、これはさすがにブックオフを利用してもお金がかかります

むしろ古本を利用しているからこそ破綻をまぬかれているようなものです

しかしながら、本を読むという習慣は、人間として生まれてきた以上、持っていないと非常にもったいないといいましょうか、残念といいましょうか、おしいです

本は人類の知識をそのまま表しています

どのような分野の本であれ(たとえマンガであっても)、そこには人類が積み重ねてきた叡智が元になっていると思うんです

それを摂取できないのはもったいないの一言に尽きます

古い中国の言葉に、書物は師であり友であるというものがあります

わたしも全くその通りだと思います

ただ、本棚に入りきらないという悩みと、お金がいくらあっても足りないという悩みは尽きませんがね

無職なのに・・・・・・

あははははは


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2008年12月08日 (01:38)

相変わらず太宰に嵌まっています

厳冬に近いほどの寒さの中、束の間の休日に一息するプロレタリアートの皆さまこんばんは

この寒さで少しく風邪などを引いてしまったようですが、無職者のわたくしは明日もまた休みです

どうも

文学青年再び@うつ病

です

あくまで青年と云い張りますが、青年とは幾つから幾つくらいまでを指すんでしょうか

青年の次は壮年ですか? だとしたら青年はかなり長い期間になりそうなので、この年でもまあ青年と云い張っても苦情は来ますまい

さてタイトル通り、太宰に嵌まりまくっております

とりあえず全作品をほとんど読み終え、今は手紙集などを読んでいます

なんと言いましょうか、彼の人にわたしは惚れこんでしまったようでして、いわゆる創作物である小説の中でも、随筆的なもの、彼の真の生活に近いものを好んで読んでいます

一般に言われる太宰はいわゆる無頼派でして、まあ、酒と女と煙草と無茶な生き方をした人物ととらえられがちであり、実際わたしも彼の作品をくまなく読み、彼の生涯に通じるまではそう思っていました

太宰といったら、あのニヒリズムだかダンディズムだかで、退廃的な人でしょう程度の認識だったのですが

これが大間違いといいますか、かなり現実とは違っていて、彼の生活の足跡や歴史などを見るに、彼がどれだけ必死にきちんと正しく生きようともがいたかは、非常に胸を打つものでありまして

そんな彼の作品のなかでも、芸術性の高い作品群はやはり生活が安定していた時期に多く生まれていたようです

金に不自由することは生涯を通じてそうだったらしいけれども、精神的な安定とは金だけで解決するものでもなく、金がなくともそれは得られるもののようです

もうすぐ彼の作品群全てを読み終え、彼の手紙集なども読み終え、太宰が終わってしまいます

なんというか、漱石の時にも感じたのですが、もう一度読み返したい作品も多く、なぜもっと生きてくれなかったのかと、後世からではありますが、悔やまれてなりません

今後、ちらほら読み直しながら、読書感想文でも書いていきたいと思いますので、もし興味がおありならば、わたしの駄文でもよんでくださいませ


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